03.09
Wed
こんばんは、水曜日記でございます。

うららか、っていい言葉ですよね。

うららか【麗か】:空が晴れて日が明るく照っているさま。

今日はそんな朝に書いています。

ちょっとひとつの答えのようなものに触れた気がするので、今日はそのことについて


友人の銅版画家であり陶芸家でイラストレーターでもあるなかむらまふねさんの個展を見に行ったことがきっかけで、学芸大学にある流浪堂さんのことを知りました。

素敵なご夫婦のなさっている素敵な古書店というのは、きっとウェブ検索でも伝わると思います。
ただ、私が初めてお店に行った時に感じた違和感とそれに対する結論についてどうしても書き留めておきたいと思ったんです。

それはお店に入る前、店先に並んだ本を横目で見た瞬間から始まっていました。
店内にはまさに所狭しと並べられた本たち、陳列を待つ積み上げられた本の山。
ハードカバーのもの、文庫、雑誌、新しいもの古いもの。

きれいだなーと思ったんです。

で、このきれいだなって印象は物理的にきれいというのもそうですが、“一度誰かの手に渡ったものにもかかわらず、新品のそれより【いいもの】の気配を纏っている”という感じなんです。一生懸命言葉にすると。

もちろん中古のもの=汚いではないにしても、でもこの雰囲気に対してとてもいい意味で私が初めて触れるような違和感を感じたんです。
その時に心に浮かんだことをそのまま書くと(ん、、?なんだか、きれいよりきれいな感じがするんだけどなんなんだこれは)です。

なんでだろうと、しばらく考えていて出たのが物にも記憶が残る説で。
一度でも、ちゃんと大切にされた経験のあるものはそれが物であっても気配に出てしまうんじゃないかと思ったんです。

気配とか、雰囲気とか、ふわっとしたつかみどころのない部分の話をしているようですが、それは料理と同じで配慮が事実に反映するようなことだとも思います。すごく些細な部分だから言われてみないとわからないとかそういうタイプの結果も出ているかもしれない。


差が出てしまう。

大切に扱うということが、新品に勝るという感覚。

物を作り、販売するということをしている者としてはちょっと見過ごせないことだと。

もしも私の立てた仮説と感じている印象が間違っていないとしたら、なおさら私は私の作るもの全てに心を込めたいし大事にしたいし、お客様の手に渡った後のその物の幸せも守りたいと思いました。
あと、きっとそれは人間も同じだと思うから、やっぱり人(動物も植物もなんだか全部ですよね)も大切にすべきだと思いました。流浪堂さんに並んでいる本のような雰囲気を纏った人は、きっと他の人も幸せにするような気がするし。


そんな“物”に対する新たな視点、価値観をいただいた、素敵な出会いでした。


流浪堂さんは今月末(2022/3/31)で今のお店を一旦閉め移転なさるそうです。
あと20日ほどですが、お近くの方はぜひ。
今のお店もすごく素敵なので名残惜しいですが、ご夫婦のなさるお店なら必ず素敵になるので次も楽しみです。


流浪堂



今夜もお読みいただいて嬉しいです。
どうぞまた来週の水曜の夜に。




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