10.08
Thu
こんばんは、水曜日記でございます。

藤井風ばかり聴いている今日この頃。

なんだかエッセイが楽しくて。

 
「お店のこと」

 ちょっと大忙しだった日々のさなかに(これが終わったら晴れた午後に、なんらかの温かい美味しいものを飲みながら読むんだ)と買って置いていた本があるのですが、大きなトピックが一段落ついた後でもなかなかその時間が取れずにいて、ふとお風呂上がりに髪を乾かしながら、ぱらりと少し読んでみたら序盤で胸が詰まって読むのを中断しました。
 
 これは、こんな風に、片手間に読むのにふさわしいものではないと。
 
 それは今月号の暮しの手帖で、私の大好きな、そして私が初めての個展をやったシーモアグラスのおりえさんが書いたもので、お店を始める本当に最初の最初のことが書かれていました。

 胸が詰まって中断しているのでその先の展開はまだわからないのですが、本を閉じた後に遍(あまね)くお店のことを思いました。

 普通にいつもそこにあって、たとえばお金を払ってなんらかのサービスを受ける。というのがいわゆる“お店”なのであまりにも現実や生活に溶け込んでいるがために忘れてしまいがちなのですが、お店って店主が最初に夢や理想を描いて、その後にくる膨大な手続きと、具体的な行動によって具現化したものの集積なんですよね。実は。

 コロナでたくさんお店が潰れたし先日行った合羽橋の道具街では、ほとんどのお店が対策しながら開店しているなか、私の好きな食器屋さんが休業延長の張り紙を出していて、それを遠目に見た時も、ひやっとしました。
 ニュースなどで何軒がとか、あそこがとか喪失について見聞きした時にちょっともう麻痺している自分がいて、淡々と心のなかで(わぁ、、)とか、(これは大変だな、、)とかうっすらと流れるように思って流して忘れるようになっていて。
 それもまた傷つきすぎないための防衛本能だと思うのですが、やっぱり麻痺ですよね。無意識でありつつ故意の麻痺なので麻酔かもですね。
 それがおりえさんの文を読んでちょっとほどけたんです。

 今と過去が地続きなせいで、思っていることとか全然変わっていないつもりが結構変わっていたりもして。
 
 例えるなら、浮き輪で仰向けに浮かんでいてふと岸を見たらすごく変な位置に流されていたような感覚。
そんなふうにいろんなお店を愛しく大事だと思ってるっていう土台はありながらも、ふわっと思いのほか離れていたことに気づいたことと、コロナに翻弄されていろいろ衝撃で心がダメージを受けていたようだけどもう大丈夫で、ちゃんと見て思うことができるところまで来たんだとその文を読んで、思って、わかったという。

 あらためて強く思います、知っている人の、そして知らない人の、あらゆるその宝物が守られますように。
その宝物によって沢山の人が幸せになりますように。

 5年後、10年後今年のことを私はどう振り返るんでしょうね。
なんとなく今の想像だと、“とても強くなった1年”などと言うような気がします。



台風が向かっていて雨の夜。
まだ起きている方は、こんばんはおやすみなさい。
朝に見た方はおはようございます。

気温も下がるみたいなのであたたかくして過ごしましょう。
何事もなく通り過ぎた、台風一過の秋晴れを楽しみに。

ではまた来週の水曜日に。



暮しの手帖5世紀8号←は、こちらから
色んな人に読ませたいです。

すごくかわいらしくて、キュートな文章でありながら“絶対に嘘は書かない。”と決めているような、おりえさんらしい感じがする気がして、私今すごく主観で話してますが、なんせいいんです。
もうすぐ次の号が出てしまうので、どうぞお早めに。


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