10.16
Wed
こんばんは、水曜日記でございます。
台風が過ぎ、今尚大きな被害を受けてらっしゃる地域にお住まいの皆様に心よりお見舞い申し上げます。
どうか1日も早くいつもの生活が取り戻されますように。。
今日のこのブログを書いているのは2019/10/13。日曜日。台風の翌日の夜です。
ちょっと忘れないうちに書きたくて。
今回、やはりあれだけ大きな台風がなんだったらうちの上を通るぐらいの進路だったので結構本格的に準備をしました。
スーツケースに後々必要になりそうな食料など、大きなバッグには避難所で必要なもの、そして小さなリュックに大事なもの。
必然的に持てるものを絞らざるをえなくなった状態で私がライフラインや仕事以外で自分のために選んだものは、犬の写真1枚と指輪2本だけでした。
その指輪、2本とも母からもらったものなんですがひとつはおさがりで、もうひとつは十代の頃にプレゼントされたもので外側に“My treasure”って彫ってあるんです。
お母さんごめん、正直に言うとちょっとダサいんです。しかも率直過ぎてなんか照れるし恥ずかしいんです。
でも、もしも命の危険が迫るような状態に私が陥った時に、この指輪が目に入ったら生きることを諦めるという選択を私は取れなくなるだろうなと思いました。
台風が過ぎて、いろいろ片付けをしながら改めて考えていて思ったのですが、アクセサリーって命綱になりうるということの発見でした。今までもそうかもしれないと、思ってはいたけど実感ではなかった。
人って案外自分のためだけに出せる力って限度があって、自分の命を自分だけのものだと思っていたら私は結構簡単に諦める方だと思います。とはいえ死については想像なのでわからないけれど、たとえば小さなつまずきで自分にはまるで価値がないみたいに思ってしまったりはする方です。
でも、誰かの大事なものだとしたらそれを粗末に扱うのは、同時にその誰かの価値観を侮辱することになるのですごくしにくくなる。
更に言うと、その自分を大事にしてくれる誰かって、私にとっても大事な人なんです。
私にとってアクセサリーって、今作っているものがそうというのもあるのですが、花とか精神安定剤のような比較的、瞬間に効くようなものに近い印象で、そうなれたら素敵だし今もそう思っているのですが、たとえば指輪のような彫金の方のラインについては命綱とか、結婚指輪のようなペアリングについては贈りあった相手の存在の代わりであったり、少し前にご自身の夢が叶った記念にお求めいただいた方がいらっしゃったのですが、素敵なできごとを自分で起こしたことの証拠の品であったり、そういった大事なことを忘れないためのすごく優れた装置なんだなと思いました。
肌身離さず身につけられて、金属なので基本的には頑丈。プラチナや18金を使うと更に化学的な変質まで避けられる。
正直なことを言ってしまうと、資産価値としてのジュエリーやブランドネームに私はまるで興味がないです。
とはいえ、そのものすごいジュエリーを作るまでにどれほどの努力を重ね、配慮がなされたか、またその背景にある壮大な歴史については畏怖を抱くし、美しいものに心を奪われる気持ちもわかります。
また、贈り主の“いざとなったらこれを売ってでも生き延びろ”というような気持ちは愛だと思うし、自分のできる最大限の金額をかけるに値するという愛の表明だとしたら、その覚悟は金額に関わらず非常な価値があると思います。
でももっとこの原始的なところまで立ち返って、愛とか希望の仮の姿を担えるようなアクセサリーを作れたら最高で、もう既に作らせてもらっているかもしれないけれど、なんかもっとあらためて私のしていることは、私が今回“My treasure”に感じたことと同じことを成し得ると思ったら、なんだか、自分とアクセサリーを作る仕事との間の整合性が取れたような気がしました。
そしてなによりもこの役を、私はとてもやりたいなと。あらためて。
そんなことを思いました。
多分このこと、この仕事を続けている限り忘れないと思います。
忘れたら足元すくわれるだろうな。笑
それぐらいきっと大事なこと。
さて今週はお休み週。
タフな仕事があるので頑張ります。笑
でも、疲れたら休みます。みなさんもどうぞ無理はせず。
台風が過ぎ、今尚大きな被害を受けてらっしゃる地域にお住まいの皆様に心よりお見舞い申し上げます。
どうか1日も早くいつもの生活が取り戻されますように。。
今日のこのブログを書いているのは2019/10/13。日曜日。台風の翌日の夜です。
ちょっと忘れないうちに書きたくて。
今回、やはりあれだけ大きな台風がなんだったらうちの上を通るぐらいの進路だったので結構本格的に準備をしました。
スーツケースに後々必要になりそうな食料など、大きなバッグには避難所で必要なもの、そして小さなリュックに大事なもの。
必然的に持てるものを絞らざるをえなくなった状態で私がライフラインや仕事以外で自分のために選んだものは、犬の写真1枚と指輪2本だけでした。
その指輪、2本とも母からもらったものなんですがひとつはおさがりで、もうひとつは十代の頃にプレゼントされたもので外側に“My treasure”って彫ってあるんです。
お母さんごめん、正直に言うとちょっとダサいんです。しかも率直過ぎてなんか照れるし恥ずかしいんです。
でも、もしも命の危険が迫るような状態に私が陥った時に、この指輪が目に入ったら生きることを諦めるという選択を私は取れなくなるだろうなと思いました。
台風が過ぎて、いろいろ片付けをしながら改めて考えていて思ったのですが、アクセサリーって命綱になりうるということの発見でした。今までもそうかもしれないと、思ってはいたけど実感ではなかった。
人って案外自分のためだけに出せる力って限度があって、自分の命を自分だけのものだと思っていたら私は結構簡単に諦める方だと思います。とはいえ死については想像なのでわからないけれど、たとえば小さなつまずきで自分にはまるで価値がないみたいに思ってしまったりはする方です。
でも、誰かの大事なものだとしたらそれを粗末に扱うのは、同時にその誰かの価値観を侮辱することになるのですごくしにくくなる。
更に言うと、その自分を大事にしてくれる誰かって、私にとっても大事な人なんです。
私にとってアクセサリーって、今作っているものがそうというのもあるのですが、花とか精神安定剤のような比較的、瞬間に効くようなものに近い印象で、そうなれたら素敵だし今もそう思っているのですが、たとえば指輪のような彫金の方のラインについては命綱とか、結婚指輪のようなペアリングについては贈りあった相手の存在の代わりであったり、少し前にご自身の夢が叶った記念にお求めいただいた方がいらっしゃったのですが、素敵なできごとを自分で起こしたことの証拠の品であったり、そういった大事なことを忘れないためのすごく優れた装置なんだなと思いました。
肌身離さず身につけられて、金属なので基本的には頑丈。プラチナや18金を使うと更に化学的な変質まで避けられる。
正直なことを言ってしまうと、資産価値としてのジュエリーやブランドネームに私はまるで興味がないです。
とはいえ、そのものすごいジュエリーを作るまでにどれほどの努力を重ね、配慮がなされたか、またその背景にある壮大な歴史については畏怖を抱くし、美しいものに心を奪われる気持ちもわかります。
また、贈り主の“いざとなったらこれを売ってでも生き延びろ”というような気持ちは愛だと思うし、自分のできる最大限の金額をかけるに値するという愛の表明だとしたら、その覚悟は金額に関わらず非常な価値があると思います。
でももっとこの原始的なところまで立ち返って、愛とか希望の仮の姿を担えるようなアクセサリーを作れたら最高で、もう既に作らせてもらっているかもしれないけれど、なんかもっとあらためて私のしていることは、私が今回“My treasure”に感じたことと同じことを成し得ると思ったら、なんだか、自分とアクセサリーを作る仕事との間の整合性が取れたような気がしました。
そしてなによりもこの役を、私はとてもやりたいなと。あらためて。
そんなことを思いました。
多分このこと、この仕事を続けている限り忘れないと思います。
忘れたら足元すくわれるだろうな。笑
それぐらいきっと大事なこと。
さて今週はお休み週。
タフな仕事があるので頑張ります。笑
でも、疲れたら休みます。みなさんもどうぞ無理はせず。

