06.27
Wed
こんばんは、水曜日記でございます。


先日ふと客観的な気持ちで自分の本棚を眺めていたら、確か中途半端にワインの感想を書いていたはずのモレスキンのノートが目に留まり、手に取ると案の定中途半端なワインの感想と一緒に、これをワインリストに転用する前の私が思っていたことが散文のような感じで書かれていました。

多分、23,4歳くらいの頃でしょうか。

あの頃の幸福感と、不安感。すべてが非常に保留状態で、まるでミストサウナを歩くかのような心地よさと手探り感を鮮明に思い出しました。



彼女は、



「常に寝ているような、起きているような

曖昧な生活を自らの手で作った、

甘やかな日々の中で、私は苦しくても、もがかなかった。」



とか言っているのだけど、



「幸せに生きるため、本気で生きよう

無意識のまま消化していく日々のように

一生も終わるから」



とも言っていて、

すごく客観的に、(この人は、本当にただ事実を書くなぁ。そしてあいかわらず文の嗜好が変わらないからか、思いのほか読みやすいな)など思いました。(でも、時間をおいて読み返して少し、むむむ。。と笑、まぁ、よし。)

あと、今思っていること、状況、感じていること、困っていること、嫌なこと。嬉しいこと。普通のこと。
目の前で流れている川の水は一瞬も同じものであることが無いように、自分の中や周りのそういうものもかなり容赦なく通り過ぎていくんだとあらためて気付かされた感じがしました。

このことは今にもおおいに当てはまるから、もう少し感情の記録を残しておいたほうがいい、多分。

手帳はTo doばかりで、それもいいのだけど感情についてこの10年ほどを振り返ろうとした時、きっと未来の私は“なんとなく、そんなだった気がする”でしか捉えられないだろうし、教えてもらうこともないはず。

散文でもなんでもいいから、そして誰に見せなくてもいいから、こういうメモを自分のために書き留めておこうと思いました。
おすすめです。
いや、私ではなく彼女(23,4の頃の)からの。となんだか言いたい感じ。

昔の自分にに向かって、
「その煩悶は私を救いますよ、そのいかんともしがたい状況はここから見ると“だめうつくしい”感じがしますよ。
ちゃんと残してくれてありがとう」と、花を持たせたいような。

3年の日記とか買おうかな。
できなそうー、笑
やっぱり、ちょっと素敵なそれ用のノートに好きに書こう。書いたり書かなかったりしながら、記録用として。
そしてふと、自分のためだけの文をどれぐらい書いていないだろうかと思って、少し愕然。
必要不可欠ではないけれど、やっぱりあったほうがいいと思います。




さて今週はお休み週。
今、友達にプラチナのペアリングやK18のピンキーリングなどのオーダーを頂いていて、更に作りたいものもいろいろあって、すべてを同時進行的に。うふふ。

きっと、こんな感じで、したいことリストを追っかけていくような人生なんだとも思います。


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